「ほう…。 よし、良いだろう。 その勝負受けた」 少し真面目な顔つきで、彼が答える 「喩え駆け出しと言え、私とてアイドルの端くれなんですよ? それが常日頃から修練を積むでも無い人に負けるとでも?  本気なんですか?」 「望む所。 千早こそ負けた時の約束、忘れるなよ?」 「ええ。 私の誇りに掛けて」 何も知らない人がこれを見たなら、最早売り言葉に買い言葉にしか見えないやり取りが展開されていた 事の発端は、単なる意見のGapによる衝突 だが、この日は千早が食い下がる レッスンの比重を暫くダンスと表現力に重点を置くと、Pが言い出したからだ 当然の事ながら減るのは、ボーカルレッスン 歌の為に、この世界に飛び込んだ千早にしてみれば、それは何が有っても納得出来ない そこで、件の勝負話となったのだが…有ろう事か勝負方法は、『人前で歌い、相手に負けを認めさせる事』 誰がどう考えたって、彼女に分が有るのは否定出来ない しかし、だ 彼は、その勝負を平然と受けてたったのである しかも、何処か自信に満ちた表情で ■ 少し人通りの多くなりかけた、歩行者天国 その一角で立つ2人 心なしか、何時も以上の真剣な表情で千早が言う 「後悔なさっても…知りませんよ?」 当たり前の話では有った 俗に言う『プロ足る者が、素人に負けられるか?』なのだ。『万が一にも』 しかも、負けた暁には千早にとっては我慢し難い先が待っている これで気合の入らぬ者が居るなら、余程鈍い人間と言っても良いだろう 彼が黙って頷くと、繁華街の路上で無名アイドルのゲリラライブが突然始まった アイドルと言っても、所詮無名 世間の興味が無い段階では、並みの者ならそれ相応の気を引く程度で終わりだったろう だが、ここで歌う少女はちと違う 歌の天稟なら、元より未完のSランクな千早なのだ その歌声を耳にして、興味を持たぬ人間が何人居よう? 物の数分も経たぬ内に、その声に魅了された人々で忽ち人の山が出来ると、短めのパートを終えた時、辺りはチョッとした騒動に為り掛ける その様子を見て、示し合わせた様に脱兎の如く彼らの前から抜け出すPと千早 走り去っていく彼らの後姿を、何が起こったか判らず唖然とした表情でギャラリー達が見送っていた 「ハァ、ハァ…、ど、どうです? あれを見てもまだ…」 息を切らせながらも、千早が自信有り気に問う だが、Pは先の様子を目の当たりにしても、何ら意に介していない様だ 「一応、流石だ…とは言っておこう。 だけど、勝敗は俺のを見てからにして貰いたいな」 又だ あの時の、自分の勝利を疑わない自信に満ちた表情 少なくとも今日の私のあの出来は、かなり誇れる部類に入ると言っても良い 少しでは有ったが今の自分の力量を確かめれる、手応えを感じる事が出来たからだ それなのに…なのに彼の表情には、些かも曇る様子が見られない 何なのだろう? 私のあれを見ても、勝つに足る何かが彼にはあると言うのか? 漠然とした不安が忍び寄ってくるなか、気が付くと街並みの様子が少し変わっていた 比較的低層の建物が増えて来ている どうやら、住宅街が近くなっている様だった ふと、とある公園に足を踏み入れていく彼 為る程、彼はここをステージに選ぶのか… そう思った矢先に、視界に飛び込んでくる風景を呆然とした表情で彼女が見つめた 「え…?」 何と彼は、公園の砂場に足を踏み入れ砂遊びを始めるではないか ■ 「ちょ…、な、何をなさっているんですか!?」 私の問い掛けに一度だけ振り返ると、『まあ、見ていろ』と言わんばかりの悪戯っぽい笑顔だけで彼が答える が、その間も黙々と砂遊びを続けて行く手は休めない ただ、何処か楽しそうにニコニコしながら その内、その光景に少し変化が起こる 近くに居た2・3人の子供達が、彼の傍に寄って様子をじっと見つめていた 彼らの様子を認めると、少しの間を置き、彼らを指差し、次いで築いた砂山や城を指差す おずおずと頷く子供達 頷きを見たPがニコリと笑い、彼らを手招きする 今度は、子供達と一緒に遊ぶ様子が展開されて始めた 「全く…、一体何を考えているのかしら…?」 少し憮然とした表情で、千早が呟く それ以前に、こんな事をして、これ以上何の意味が有るのか? こんな無駄な時間なら、喩えボーカル以外のレッスンでも、そちらの方が100倍も有益だろう、と思う 「プロデューサー、最早、こんな勝負無意味でしょう? 私の勝ちは揺るがないじゃないですか。 はやく切り上げて事務所に(ry」 そこまで言って、私は言葉を切った 砂場の方から彼と子供達のコーラスが聞こえて来たからだ 拙いながらも、楽しそうに…そして嬉しそうに彼と一緒に歌う子供達の歌声が公園に響き渡る いつの間にか、他にも集まって来た子供達が、楽しそうに彼と一緒に歌を紡いでいた 彼自身も、子供達を優しそうな笑顔で見つめながら 30分程だったろうか 夕刻の日が落ちかけた始めた頃、子供達を連れて帰る母親により彼のゲリラライブ(?)は終わりを告げる 名残惜しそうに、又の約定を彼と交わす子供達 子供達に笑顔で答え、別れの見送りを何時までも続けるP そして、私は或る事に気が付く ■ 「さて、勝負…といこうか?」 若干神妙な面持ちの私に気が付いた彼が、先程の悪戯っぽい笑顔で問いかけて来る 「…いえ。その必要は有りません」 「ほう。それは…何で?」 「それは……、それは私の負けだからです」 私ははっきりと、その事だけは感じていた この勝負は『私の負けだ』と だがその理由が、如何しても判らなかった 唯、根本的にあの時の私の歌と今の彼の歌との間には、かなり異質な差がある事は感じた 恐らく、それが答えの本質、いやズバリ答えその物なのかもしれないが しかし悲しいかな、今の私にはそれ以上の事は判らない 「答え…知りたいか?」 私の歯痒さに満ちた疑問を見透かした様に、又も問うP けれども、今度は先程までの表情は消え優しそうな笑顔が代わりに浮かんでいる 一瞬、諮詢する私 再び口を開くと、彼に向かってこう告げた 「ええ。 ですが、それは自分で見つける物では?と感じました  私がこの先に進む為にも、その答えは自分自身で気が付かなければいけない気が…」 その答えを聞き暫し黙って私を見つめると、彼が笑顔で大きく頷いた 「さあてと…、じゃあ今日はこれで戻るとするか  明日からは、約束通りダンスと表現…ビッシリと行かせて貰うからな」 「はい」 不思議と素直に返事が口から飛び出す きっと、ちょっと前の私なら大きく悪態を吐いていただろう でも今度は、はっきりとその理由は判った 今日私は、私にとって、とても大きな一段を彼に導かれた気がしたから