「チェス…ですか?」 私の問いに、彼が頷く 今度のコーヒーメーカのCMに、私がチェスを指す一場面が欲しいとの希望だ 難しい局面を切り抜け、勝ち筋を見つけた時の勝利を確信した表情。そんな表情で飲む一コマを、絵にしたいのだとか ところが、いざ撮影が始まって見るとこれが中々前に進まない それもその筈、撮影監督は業界でも随一の厳しい人だ ベテランの大物だろうが、駆け出しの若手だろうが、ダメな物は、はっきりとダメ出しを連発する 要は納得出来ない絵は使わないと言うのが、彼のポリシーだ 「はい!カーット!カット! あのなぁ、如月…アホだろ、お前?」 ファンが聞いたら殺気立つ様な台詞を、平然と投げつけて来る 「はいっ! すみません! で、ですが一体何が…」 「誰か頭ん中入ってるのか? それを理解出来てたら、とっくに終ってるんだっての」 「は、はいっ!」 「ったく…しょーがねーな…。おーし、ちょっと休憩入れっぞ!  お前さんも何が足りないのか、よーく頭冷やしてこの休憩でもう一度考えてみな」 私は、再度頭を下げて休憩に付く 「いやはや、噂には聞いていたけど。 厳しい人だな」 彼が苦笑いしながら、私に飲む物を差し出してきた 「ええ…。 ですが、あの人も…やっぱり一流なんですね。 妥協しない、とことん突き詰める…自分がやってる事を、やられるとは思いませんでした」 と、今度は私にも苦笑いが浮かぶ 不思議と、あの監督に罵倒されるのは苦にならなかった 生業が違うだけで、彼にも私と同じ姿勢が感じられたからだ だから、彼が私に求めてる姿が私には見えて居ない事の方が…彼の求めている事に答えられない事の方が、逆に歯痒い 「あの人は、私に何を…」 考え込む私の口をついて、自然に言葉が毀れる 解答が見えて来ない答えは、流石に辛い やるからにはキチンとした物を残したいという想いも有るし 不意に、Pが口を開いた 「うーん…、多分だけど…チェスをする姿を求めてる訳じゃ無いんじゃないかと」 「は? チェ、チェスを指しているのに…ですか?」 妙な事を言うものだ…と思った 「うん。 あの人はね、自分でも気に入った対象しか撮らないって人でも有名なんだ  そんな人が、チェスは素人同然の千早の姿を、フィルムに収めたい…って思うかな? 多分そうは思わないんじゃないか?  なら、そんな人が千早を気に入ってくれた理由って何だろ?」 為る程、言われてみればそんな気もする 確かによくよく考えれば、求道者たる人物が、お為ごかしにも似た絵を欲するだろうか? 私とて、そんな物なら願い下げなのだ。それがあの監督なら…答えは明白だろう ならやはり、私ならばそれが見れるからと言うのが、私を気に入ってくれた理由なのか 「千早に出来る事じゃ…いけないのかね?」 今度は、又随分と抽象的な物言いである 「どういう事ですか?」 「さっきも言った様に、千早は棋士じゃ無いだろ? アイドルだよな?」 「え、ええ…」 「…『歌って』みたら…ダメか?」 「う…歌…ですか?」 「あ、いや、そう言う意味じゃ無くて…」 「………………あ…」 ふと、彼が何を言わんとするか気が付く そうか。 私はアイドルなんだ。チェスを指す棋士じゃ無い あの人が欲しているのは、「チェスを指す姿」じゃ無い。「チェスを指す『真剣な姿』」が欲しいんだ。チェスに真っ直ぐ向かう私の姿勢を 歌に向かってる時の姿勢を、そのシーンにイメージしてるんだ 私は、休憩している監督の前に進み立つ 「今度は、きっと…大丈夫だと思います」 「ほぉ…。自信あり…ってトコか? 期待して…良いんだろうな?」 黙って彼に微笑む 「俺は相手が誰でも、とぼけた真似するなら容赦しねぇぞ?」 頷く私 少しの沈黙の後、監督がニヤリと笑った 「よし! おら、とっとと再開するぞ!  いいか、今からこいつの顔、一瞬でも撮りっぱぐれたら、お前らのケツ嫌って言うほど蹴っ飛ばすからな!」 唖然としたスタッフ達の顔を尻目に、監督が椅子に向かって行った ■ CMがTVを流れている 「お。 この前のヤツか」 「ええ」 「へぇ…、いいね。 様になってるじゃないか」 「あの時、私をアイドルだと仰ったのは何処の方でしょう? それにあの人以外こんな絵は撮れませんよ、きっと」 「あはは、その通りだな」 そのCMが、丁度終った頃だろうか 小鳥が宅急便の小荷物を、数個ほど抱えて事務所に戻ってくる 「あ、千早ちゃん。 一個、千早ちゃん宛てのヤツ有ったわよ? はい、これ。  んーと、差出人は…。 あら? これ、今のCMの監督さんじゃない?」 確かに差出人は、この前の監督の所からだ 「何だろうな?」 「さあ? 何か送って頂くお約束も無かったですし…」 何だろう?と思いながら包みを開けると、出て来たのは一本のビデオテープ ラベルには「#0」とだけ手書きで書かれている そして、一枚の便箋 その便箋にも、ぶっきらぼうな字で一行だけこう書かれていた 『これは、俺が持っていて良い物じゃ無い。 如月、お前さんの物だ』 プロデューサーと音無さんは、送られてきたテープを再生していた TVの画面には、最後の笑顔の絵のシーンを撮る為の、私の表情が映っている ああ、そうかあの時の… ……え?って言う事は…? 「あっ!」「!?」「うひゃーっ…」 私とPと音無さんの声が同時に重なり、何か言いかけてる画面の途中で私は猛ダッシュで停止を押す くっ! よ、因りによって一番見られたくない2人に、この時の顔を見られてしまうとは…不覚っ! 「ち、千早? 今の表情って…」 やや呆然とした顔で、Pが問う 「みーたーわーよ、今の顔。 ね? ね? 今のは誰を想って!? 今のは何を言おうとしてたの!?」 物凄くニヤニヤした顔で、私に問う音無さん 『…ようやく気が付いたみたいだな』 『ええ』 『自分で気が付いて貰えなきゃ、俺の欲しい絵は撮れなかったからな。悪かった』 『いえ。そんな事…』 『よし…っと。 なら、後は最後のヤツだ。 お前さんの、とびっきりの笑顔見せて貰おうか。これは簡単だろ?』 『え? ですが、そんな簡単に…』 『まあ、そう難しく考えるな。 ダメなら好きなヤツの顔でも思い描いてりゃいいから』 『なっ!?』 『あっはっはっ! なあに、良い顔見せてくれた礼だよ。 編集で上手く使ってやるさ。 お前さんの顔ならな』 結局、私はどうすれば良いのか判らず、監督の言葉に素直に従ってしまって ああ、もう別な事考えればよかった… え? あの時何を言ってたか…って? …ひ、秘密ですよ? 絶対に。誰にも言わないで下さいね? そ、その… 『何時か貴方の心を、チェックメイトです』…って