「嫌な物は嫌なんです!」 激昂する彼女の机を叩く音が事務所に響き渡る 「それ以上の理由なんか…理由なんか、有りませんっ!」 「!?」 バンっ!と音を立てて開く出入り口 彼女が外へと飛び出していく 「お、おいっ!? ちょっと待てよ、千早! 千早ってば!?」 慌てて彼が声を掛けるも、既に後の祭りだ その声は、彼女の遠ざかる足音と共に、ただ廊下に虚しく響くだけだったから 困ったなぁと言う表情をして頭を掻くPだけが後に残されると、遠間からそれを見ていた小鳥がヤレヤレと言った顔で溜息を付いた ■ 今日、私は初めて知った 本当に悲しい時でも、涙は出ない物なんだな…って 判ってる。あの人が、何を言ってるのか。そして、その意味も 何故そう言うのか、そう言わねばならぬのか だけど、私の心が判ってくれない。どんな理由が有っても 喩え真似だって、絶対嫌だ。そんなの だって… 彼女は、閉め切った薄暗い部屋の中で独り自答し続ける 彼女の元に、映画の話が舞い込んで来た 勿論彼女にとってもメリットは有る話だ だが、アイドル活動を続ける今の彼女にとっては、逆にデメリットの方が多いだろう しかし彼は、「仕事」だからと言う理由でそれを選んだ それも事も有ろうに「ラブロマンス物」。オマケに、キスシーンまで有ると言うでは無いか 何時の間にか「一緒に見つけよう」って言ってくれた人が、居場所になってたのに 私が頑張って来れたのも、あの人の優しい笑顔と暖かい手が、何時も傍に有ったからなのに もっと綺麗に為りたいって思ったのも、あの人には私を…見て欲しかったからなのに あの人にとって、私って何なんだろう… やっぱり私じゃ無理なのかなぁ…、どんなに頑張っても …そうよね…… あずささんや音無さん見たいな、大人が近くに居るんだから 私の様な可愛げの無い子供なんて、太刀打ちも出来ない大人の女性が こんな私なんて、誰も… 自嘲気味の笑顔が、彼女の顔に浮かんでいる やっと、一人じゃ無くなったって思ってたのに…又、一人ぽっちになっちゃうんだ やだな… 膝を抱え、彼女が頭を膝頭に寄せ目を伏せる 寂しい… いやだ、そんなの…、また……一人は …あれ? 何でだろう? 何で私は、涙なんて… ヘンだよね。これっぽっちも出ない…って思ってたのに 相変わらず静寂が満ち続けるこの部屋に、嗚咽は無い だが静かに彼女の肩だけが震えて行く ただ、静かに ■ ボーっと壁にもたれ掛っていると、あの人の声が聞こえた 「入るよ」 返事の返って来ない静寂を破って、ドアの開く音がする 「やっぱり、ここか…。 良かったよ、他に行かれてたら…」 「…他に行く所なんて、有りません」 私には、此処しかないから。と、出掛かった言葉を飲み込み押し黙る 「…その、やっぱりダメ…か?」 ぷいっとそっぽを向いて、彼女は黙り続けた 「何とかなら(ry」 「商品だから…ですか?」 不意に彼女が口を開く 「え?」 「私は商品だから…。765プロと、プロデューサーにとって」 「ち、違うよ。 そうじゃない」 「何処がですか? 違わないでしょう?  私の気持ちを無視してまで『仕事』にしなきゃいけないって事じゃないですか」 そう言って、彼女は又押し黙ってしまった 再び静寂がやって来る だが、先程とは違った気まずい雰囲気に包まれて 大きな溜息を付きながら、それを破ったのは彼だった 「仕方無い…」 半ば諦めた様な表情で彼から告げられた言葉に、一瞬、淡い期待が胸を過ぎる がしかし、続いて来たのは予想だにしなかった台詞だった 「この辺で、そろそろ頃合かなとも思ってたから…  いいかい? 一つだけ約束してくれ。これから言う事は他言しない事」 「…?」 「そ、その…ちょっと、恥ずかしいからさ…」 …え? それは、どう言う事…? 「千早、海外挑戦したいって…ずっと言って来てたよね?」 「…はい」 「確かに歌に関してなら、もう国内では抜くヤツは居ないと思う  後は頂上に向かって駆け上がるだけだ  だけどね、歌だけなんだ  地力が上がってるのは  勿論、他が上がって無いとは言わない。でも、そんなのはこの国の中なら何とでも誤魔化しが効く。攻め方考えるだけだから  元々、世界に比べたらドングリの背比べの連中に混ざってやってるんだ  そんなのたかが知れてる、お恥ずかしいモンだと思わないか?  今、世界を相手に歌おうと考えてる、俺の目の前に居る娘は誰だ?  如月千早だろ?  歌で自分の思いを伝えたい、心を持った千早だろ?  だけど、心だけで歌うのは何れ自ずと限界が来る  では、その時はどうすれば良い?  表せば良いんだよ  千早自身で。千早の持ってる全部で  心と身体の全てを歌に乗せて、千早を『見せ』るんじゃ無くて『魅せ』れば良いんだ  その為には魅せる事を意識しなきゃダメ  その手段を、学んで、身に着けて、力にして行かなきゃダメだ  スクリーンに大きく映る姿は、その微妙な表現まで余すトコ無く映す。それはTVドラマなんぞの比じゃ無いからな  だからこの映画話、その取っ掛かりとして俺は千早にとってうってつけの教材だと思ったんだよ  ただ…、或るシーンには…そ、その……物凄く…て、抵抗は有るんだけど…    アイドルで居る時間は、短い  だけど、千早が歌手としての道を歩もうと思ってるなら、その先の道は果てが無く続く  その為にも、俺は、本当の力を千早が身に着けて行って欲しいと思ってる  世界を相手にしても、歌手としての道を進むにしても、本当に自分で誇れる、源になる力を持って歩んで欲しいって  俺は千早の為になると思うならなら、何でもしてやりたいし、何でもさせてやりたい  持てる全てを使って、石に噛り付いてでも  喜んで俺はその身を捧げるよ  だって、俺は千早の……プロデューサーなんだから」 そう一気に言うと、今度は彼がぷいっと顔を背けてしまった 今でも時々思い出すと、私の顔は綻んでしまう そのはにかんだ顔が、とっても可愛らしかった事を思い出して ■ 私は彼の言葉を黙って聞き終えた 言葉が出ない いや、出せなかった 胸がいっぱいで、どんな言葉を選んでも色褪せて見える様な気がしたから その私の気持ちに比べて 腕を伸ばせば、届く所に彼が居る ならば、私に出来る事は一つだけ  ――――――――― 彼女が、ふと、両手を俺に差し出している事に気が付く 微笑んでいた 頬を少し桜色に染めながら、今まで見た事も無いハッとする様な表情 ホンの少しだけ小首を傾げる様な仕草で、彼女が言う 「プロデューサー…、ギュッって…して下さい……」 やられた 俺はその瞬間、彼女を選んだ時から魔法に掛けらていた事に気が付いてしまった 無論、それは言うまでも無い ――――― 『恋の呪文』ってヤツだ  ――――――――― 「ダメ…ですか…?」 少し拗ねた様な表情で、私は言う チョッと、ズルイかな? でも良いですよね、今だけは 私の『このシーン』を見る事が出来るのは、貴方だけなんですから キチンと責任とって、最後まで演技指導して下さいね? 一つになる二つの影 私の唇が、彼の頬に重なる