『記憶』 それは人間のみに許された、特権なのかも知れない 時に甘く、時に悲しく、そして時に美しく、その姿は人に留まる だが、薄らぎ色褪せてしまう事だって有る 形を歪めてしまう事だって それがどんなに強い物でも、時の流れに風化する事無く燦然と輝き続けるのは、恐らく人生で1つか2つだろう ならば、色褪せず崩れぬ程強い記憶を残し続けるには、どうすれば良いか? 簡単な事だ 永い時にも負けず、その記憶を呼び覚ますキーを作れば良い 見る物の記憶を揺り動かし再び鮮やかに甦らせる、謂わば、記憶の『証』を作れば そう ――――――――― モニュメント、だ 見る度に全てを思い出せる、忘れ得ぬ人と共に有った『証』を ■ 「…え? こ…れ……、そ……そん…な………、嘘…?」 刷り上って来たゲラに近いポスターを、歌姫が信じられない物を見る様な目で見つめる その表情には、一切他の感情は浮かんでいない 驚愕と言う名の色以外は 「あーあ…、だから、少しは教えときなさいよって言ってたのに…」 律子が、呆れた顔をして俺に向かって言った 「無理。だって、それじゃビックリ箱にならない」 と俺は切り返す 眉間に皺を寄せこめかみを軽く押さえながらが零す彼女 「あのねぇ…。 何でこう言う所だけは子供っぽいんだろ?」 「まあ、良いだろ? それがこの俺様の魅力でも有るのだっ!  …って、律子さん? ねえ、何、そのハリセン? 何で、ボクをそんな怖い目で見るの?」 「い・い・か・ら!  とっとと社長のトコ行きますよ!? これから一気に行くんだから、予算と工程詰めなきゃダメでしょ!? ほら!」 「了解であります!先生!」 「…ぶつわよ?」 先生のお叱りに、彼が大人しく後を付いて歩き出す 「…しっかし、良くもまあ、これを簡単にビックリ箱とか呼べるわよねぇ…」 歩き出した律子が、又呆れた表情を浮かべながらボソリと呟く様に言う 律子の感想は、あながち間違いでは無いのだろう その証拠に、去って行く2人の後に残された歌姫は、まだ驚愕の表情を浮かべたままだったから 最もその理由を明かすとなると、半年程前迄遡らねばならぬのだが ■ Cランク後半くらいからだろうか、千早の人気が急上昇し始めたのは 元々、イメージ戦略はクールさを中心に押して来ていた 15歳の高校生では有るが、その並を遥かに超える美しい顔立ち、スタイリッシュなプロポーション、歌に向かう真摯でストイックな姿勢 『美しき、静かなる求道者』 そんなイメージが、正にピッタリだったからだ だが、時折見せる少女らしい笑顔や恥じらいといった素顔が、少しづつ今までのファンの間に広まって行くと 一気に彼女の虜になった新たなファンが増え出して行った 所謂、ファンがファンを呼ぶ、一種の波及効果の様な現象だ そんな巷の逆の反応を感じる最中、彼女自身にも恥ずかしさや戸惑いと言った物が有ったのか ある時、彼女自身から改めて元々のクールさで行きたいと要望が出る 勿論、その申し出は素直に受け入れた 彼女がクールさを意識すればする程、その時折見せる素顔とのギャップが、更に魅力を増す事を彼女は知らないからだ それが何を引き起こすかは、ぶっちゃけ音無女史を思い出してくれれば話は早い しかし、ちょっと誤算だったのは、そのクールさが突き抜けてしまった事 ただ、その誤算も嬉しい方に転んでしまったので、画策する方としてはラッキーな事では有る 新たなイメージは、逆に世間の方から頂いた様なもの ならば、此方としてはそれを少し後押しして行けば良い 最も『孤高の歌姫』『Ice Queen』等と、少々強面の字を冠する事にはなったが 『女王、誕生。』 終いには、そんなコピーが生まれる程までに、今や彼女のイメージは浸透している そして、その人気は絶大な物になりつつ有った 無論ランクも、もう間もない所まで迫っている その、伝説と言われたSまで  ――――――――――――――――― 「今回の…、どう?」 コーヒーカップを口元に運びながら、律子に問うP 「もう…ちょっとだけ待って下さい。あとは、経費の集計と…」 「良いよ、バッサリで。今後の推移を有る程度見込む為の材料だし」 「じゃあ、大項目でも?」 「OK」 彼に手渡される、プリントアウトされた簡易集計 「…30…か」 呟きが毀れる 「さて…、これで、いけるかな?」 「ん? 何かヘンなトコでも有りました?」 「んあ? あ、いや、特には。 律子から見て何かあった?」 「パッと見では…、おかしな所は無いですね。  今の人気からしても、若しかするとS…?ってのもチラホラ見える線ですし、今後の興行収支も安定ってトコじゃないかしら?」 過去のコンサート結果一覧と見比べて、顔を上げる律子 「ありがと。流石、参謀殿。助かるよ」 「礼よりは、時間が欲しいんですけど? 兼務と言えども、私も一応アイドルの身なんですがねぇ?」 「何だよ。あの時、弟子入りさせてくれって言ったの律子だろ? 何でもやり(ry」 「ずっるいな〜、それ。 たまーに少し黒くなるのよねぇ、この人…」 「ほっとけ。いいんだ、俺はヒールで。どうせ俺は、銭ゲバ悪辣プロデューサー。うはうはの大儲けが大好k(ry」 「…そう言う事言ってると、愛しの姫君が泪目になっちゃうから止めた方が良いと思いますけど?」 「ふ、ふん。 俺様の想いはそんな事では挫けんっ! …って、あら? 律子さん? ねぇ、律子さん、何処行ったの? おーい」 パタンと閉じる出入り口と共に、律子の姿は何時の間にか消えていた ただ、溜息がその音に混じっていた事に、どうやら彼は気が付いて居ない様だが 「…なら、行きますか…」 そう言って、彼は社長室に向かって歩き出した 先程手渡された結果を持ち、その顔から茶らけた表情は消えて  ――――――――――――――――― 「何とまぁ…」 高木が目を丸くして驚く この男、普段から滅多な事では動じない それもその筈、普段は飄々とした風貌を見せているが、実はその真の姿を隠している相当の実力者だからだ 唯一、その実力を推し量れる物に、彼が持つ鋭い観察眼が有るが、それが、その片鱗の一部を見せている事を知っている者は少ない ただ何故かその力を自ら振るう事は無く、逆に寧ろ敢えて封じている感さえ受ける 最も、この少々謎めいた男の考える事、凡夫に、その胸の内をおいそれと謀れるものでは無いけれども その男が、驚いて居るのだ 「…ですから、売り込みとしては十分でしょう。話題が宣伝の代わりになってくれてますので  スタートから、割と早い時点で収支的にも見込みは立つでしょうし  後は付帯経費の試算をしてみないと、具体的な問題点等は見えて来ませんが」 「……本気…なのかね?」 高木の瞳が鋭さを帯びている まるで、彼を値踏みしているかの様な目だ 「ええ」 唯一言だけ、彼は答えた 真っ直ぐな少年の様な瞳をして 「成る程…。意図は判った」 「有難う御座います」 そう言って、頭を下げる 「では…」 「ほう? 私に、もう一つの意図を隠したままで…かね?」 来た、と思った いや…バレるのは百も承知で、初めから望んでこの人の前に立っていたんだ それを、今更言っても始まりはしない 「隠すつもりは…。申し訳有りません」 「構わんよ。 いや、寧ろ、私はそっちの方に興味を覚えてね」 ニヤリと高木が笑う 途端に、彼が頬を赤らめ狼狽する 「なっ!? 何で、そんな事まで…判るんですか!?」 少し、高木が呆れた顔を浮かべた 「良く考えてみたまえ  そこまでするのに、理由が一つの訳が無かろう?  君にとって、今の意図よりもっと重要な物が有ると考えるのは、寧ろ、自然な事だと思うが?  彼女の為に、そこまで真剣に考えて居るなら」 ふっと、彼の力が抜ける 「はは…。やっぱ、社長には敵いませんね」 「当たり前だろう? 少なくとも、君の2倍以上は先に人生を歩ませて貰ってるのだから」 何時の間にか、高木もPも穏やかな顔に変っていた 「社長…、彼女が海外挑戦したいって言ってた事…ご存知ですよね?」 「うむ」 「俺、思ったんです。 国内では、後は頂点を目指すだけ。でも、それも一段登って終り。 そしたら、次は当然…」 「…世界の一段目…だろうね…」 「はい。ですが、その時に彼女は戦える武器が有るんでしょうか? 世界を相手にしても引けを取らない大きな武器が」 「歌に関しては遜色が無い…と、私は思っているよ? 歌に関してはね…。 それは…君もだろう?」 大きく頷く 「はい。俺も、社長と同じ意見です  けれど、彼女はきっと飛び出して行きます。彼女は少なくとも翼を手にしつつあるから  確かに、ここで彼女と言う商品を手放すのは、765プロには途方も無い大きな痛手だとは思っています  下手をすれば致命傷にさえなりかねない  勿論、今の彼女自身のレベルでは、世界で通用して行くかどうかさえ判りはしません  いや、寧ろ厳しい結果が待ち受けて居るでしょう。恐らく  だから、営利目的で企業が存在する以上、これはある意味、傍から見ても暴挙にしか見えないとも思います  …だけど…だけどなんです  俺は彼女の意思を…心を、想いを尊重してやりたいんです  歌を歌うのは、心を持った彼女だから  届かせたい想いを持って歌うのが彼女だから  そんな歌を歌うのが、彼女だから  だから俺は、世界に出た時に、自分に自信を持って前に進める何かを持たせてやりたかったんです  世界の厚い壁に阻まれ挫けそうになった時に、彼女自身が自ら頼れ誇りを持って、再び自信を取り戻せる何かを  世界に出る時、俺が彼女にしてやれる事ってそれぐらいしか無いから…」 「ふっ……、あっはっはっ!」 彼の言葉を聞き終えた高木が、突然声高に笑い出す 「え? な、何かヘンな…?」 「すまんな。 決して君の事を笑った訳では…、いや、有る意味はそうか」 「?」 高木は、相変わらず愉快そうにしている だが彼を見るその目は、何処か優しげな色だった 「しかし、今時こんな若者が居るとは…  まるで夢物語の様な話を、彼女の為だけにしてやるとはね  しかも、それぐらいと事も無げに言い切るとは…、いやはや何とも、恐れ入ったよ」 「え?」 「良いだろう。  他の娘達も、確かに頑張って来てはくれている  が、その影響力の大きさから、自然と彼女達を引っ張って来てくれてたのは君達だと言うのも又事実だ  つまり、わが社がここまで来れたのも…如月君と君に拠る所が大きかったと言っても過言じゃあ無い」 「! じゃ、じゃあ…!」 「ああ構わんよ。 但しやるからには、徹底的にいく事。それが条件だがね?」 又、高木がニヤリと笑う 何事にも全力で向かう、彼の性格を知っていて態とこんな条件を言っている 「はいっ!」 彼の顔には、満面の笑みが浮かんでいた 「…社長。本当に、有難う御座います」 「なあに、礼には及ばんよ。 ダメなら、又、あそこに戻るだけの話だ」 そう言って『だるき屋』の写っている写真立てを手に取る 全ては、ここから始まっているんだから…と言う表情で、彼に向かって笑う高木 その姿に彼が一礼を払うと、扉の閉まる音と共に姿は消えていく 「こう言う事が有るから、この業界は面白い」 そう独り言を呟くと、又、高木の顔から笑みが毀れた ■ 「どうだ? 綺麗だろ?」 そう笑顔で私に声を掛ける彼 私は今、コンサート会場となる真新しいこの建物の前に居る 総工費は…確か100億とか 明日、私のコンサートでこけら落としを迎えるこの会場の ―――――『蒼の空』の前に  だけど今ここが、現実の世界だとは私は信じられない こんな事…有り得ないもの… うん、きっと私はまだ夢を見ているんだ だって…信じられますか? この建物が『私の為に作られた』って言ったら でもあの人は、今、確かに言った 『千早の為に』って 勿論、この話が2週間程前に明るみに出た時に、業界も一瞬にして蜂の巣をつついた様に、騒然と為った いや業界だけじゃ無い 今や、全国でこの話題は持ち切りなのだ そして、世界でも 幾らSに届くかも知れないアイドルとは言え、何処の世界に『たった一人の少女の為に100億を注ぎ込む』なんて考えるだろう? 「ほ……本当…なんですか…?」 「ん?」 「その、私の為に…これを……って」 「そうだよ」 「な、なんでそんな事出来るんですか!? だって、ヘンじゃ無いですか!? こんな…私の為になんてっ!」 「だから、千早の為だって言ったろ?」 「!?」 ま、まだそんな理由を… 「俺には、それ以外の理由なんざ無い」 「じょ、常識から外れてます!!」 「何だよ常識って」 「だ、だって馬鹿げてるじゃないですか! こんなの」 「何だ、そんな事か。 簡単だよ。それの答えは『馬鹿だから』」 「え?」 「俺は千早の事しか考えられない、大馬鹿だから」 「っ!?」 私は、赤くなって言葉に詰まった 「社長にも、大笑いされたけどね」 彼も、少し赤くなってそっぽを向いている 「本当はあの時、もう一つ有ったんだけど…それは、社長には言えなかった  でも、今は言うよ  それは千早の為の言葉だから  良いじゃないか  『この女の子には、これだけの事をしてあげる価値が有るんだ』って考える大馬鹿が一人くらい居ても  構わないじゃない  『これだけの事をされる力が、私には有るんだ。私を認めてくれてるんだ』って自惚れる女の子が居ても  だって、そうだろ?  その大馬鹿の傍には何時でもその女の子が居て、その女の子の傍には何時でもその大馬鹿が居て  歩いて来た道、紡いで来た絆、作って来た居場所  何時も2人で一緒で、此処まで来たんだよ?  これはね、その大馬鹿とその女の子の確かな絆が有った『証』なんだ  だから世界へ行った時、思い出して欲しい  こんな大馬鹿が居たんだって  挫けそうに為った時、思い出して欲しい  私には、自分を誇れる確かな『証』が有るんだって  世界へと翼を広げて行こうとする女の子に  大馬鹿からしてあげれるのは、これだけだから…」 ……馬鹿… 本当に、馬鹿なんだから… 何にも…言えないじゃ無いですか 私は、貴方の前では『孤高の歌姫』でも『ICE QUEEN』でも無いんですよ? 如月千早って、ただの女の子なんですよ? そんな事言われたら 私には『大好き』って言うしかないじゃ無いですか。貴方の事 私は、微笑んで居た 目の前に居る、『この世界一大好きなお馬鹿さん』を見つめながら でも、何時もの私の微笑みとそれが一つだけ大きく違ったのは、後から後から泪が溢れ出る事だった 自分の唇を、彼の唇に重ねていく 私のファースト・キスは、少しだけ泪の味がした