それは、彼女がCランク位の頃の話だ 「あの…、音無さん。 ちょっと宜しいでしょうか?」 「ん? なあに、千早ちゃん?」 「え、えーっとですね…、その…お世話になっている男性の方に、何かお返しをしてあげたいのですが…どう言った物が、喜ばれるんでしょうか?」 「あらぁ? 千早ちゃんにも、やっと春が訪れてきそうなのかな? ふふ…」 「え? い、いえ。残念ながら、そう言う訳では…。 お恥ずかしながら、未だその様な類に疎い物ですから」 そう言いながらも、微かに頬が染まる 一瞬、あの人の顔が脳裏を過ぎった事は勿論内緒だ 「ほんとかなぁ…? ふふ…、でも、まあいいわ、滅多にそんな事聞かない千早ちゃんの為だもの。  じゃあ、教えて上げる。 ズバリ料理っ!これしか無いわね」 「…料理…ですか?」 「うん。 だけど、千早ちゃんお手製の手料理よ? 今の時代、手間隙掛けて作るってのは本当に貴重で贅沢な事なんだから。  独身者なら食事も不健康だろうから、正にピッタリ。 だけど妻帯者だと…それはそれで問題が有るんだろうけど」 その点に付いては、問題は全く有りません。と、言いそうになった言葉を飲み込む そう言えば、居るとか居ないとか聞いた事無かったな 今度聞いてみよう。うん 「判りました。学校の家庭科実習程度しか経験は有りませんが…、では、頑張って見ます」 「でも、その人も幸せ者よね。 だって、そんな経験しか無い千早ちゃんが、頑張って作ってプレゼントするのよ?  私だったら、思わずギューってしちゃうなぁ、きっと」 頬の赤味が、少し強くなる 今度はあの人の笑顔が浮かんで来る。だが、口が裂けてもそれは言えない 「そう言うものなんでしょうか?」 「当たり前よ、そんな健気な事されたら誰だって…ねぇ?」 ニヤニヤしながら私を見つめる彼女の顔を、横目で見ながら言う 「兎も角、有難う御座いました。では、早速資料等を探してきたいと思いますので」 「報告…待ってるわよ?」 それは結果次第です。後は、詳細を省かせて頂くならば。 そう想いつつ、彼女は扉の向こうに姿を消していった ■ 「痛っ! …よ、よかった…。そんなに深くないわね」 2つめの指の切り傷を見て、少し胸を撫で下ろす なかなか侭ならない 実習の時の様子を思い起こしながら、やっては見ている物の、正に暗中模索の試行錯誤状態 でも、仕方ない 身近に聞ける人は居ないし、気恥ずかしくて春香達にも中々聞く勇気が持てない 「はぁ…。 …頑張ろ…」 小さな溜息を付いた後、再び包丁を握りなおすと その日、両手で5ヶ所も絆創膏を貼る破目になっても、彼女の『練習』は続けられた  ――――――――― 「なあ…。いい加減に、理由教えてくれよ? 俺は千早のプロデューサーなんだぞ? 心配なんだよ」 「いえ、特には何も有りません。 それにプロデューサーが御心配される程の物では有りませんから」 「嘘付け。 何で、何も無くて手にそんなに絆創膏貼ってるんだよ? 最近ずーっとじゃないか  今の衣装だから、何とか隠せてる様なもんなんだぞ?」 幸いにして、今のステージ衣装はゴッシクプリンセスだった これなら、多少のヘンな傷は包帯でも巻かない限り、綺麗に隠せる 先程から、この人の本当に私の事を気に掛けてくれている表情を見てると、少し胸が痛い 私のこの気持ちも、ちょっとで良いから隠せたらな…ふとそんな事を思う すみません 今は…言えないんです、貴方には。お願いですから、もう少し…もう少しだけ待って下さい 「あ…。すみません、今日もこの辺で上がらせて頂きます。又、所用が有りますので。申し訳有りません」 この人の顔を見るのが少し心苦しくなった頃、時刻を告げる音が鳴り響く 時計に眼を向けると、丁度終業定時だ。私は、丁度チャンスとばかりに足早に身体を運んでいった 「あっ! お、おいっ、千早! 待ってくれよ! 千早ってば!」 がっくりと肩を落とし、Pが座り込み呟いた 「俺………、信頼されてないのかな…。 やっと、彼女が心を開いて来てくれたと思ったのに…なぁ…」 「多分だけど…」 不意に、小鳥の声が傍で響く 「それは逆だと思いますよ?」 「え?」 「もう少しだけ…、待ってあげて見て下さい。そうすれば、きっと理由が判ります」 「…そ、それって…小鳥さん何か知ってる…って事ですか? なら、教えて下さい、俺、本当に心配なんです。千早の事!」 「うーん…、気持ちは判るけど…。でも、コレだけは、教えて上げられませんねぇ…」 「な、何で!? ちょ、ちょっと、お願いしますよ、小鳥さんっ!?」 「だーめーでーすー」 「へ?」 「だって…女の子の秘密ですから♪」 「……………………は?…」 酷く間の抜けた顔をするPに軽く片目を瞑ると、楽しそうに彼女が去って行く 「……な、何だってんだよ…一体…」 首を捻ると、彼がもう一度呟いた ■ 彼女の手の絆創膏が為りを潜めたのは、BからAへ上がった位だったろうか ランクアップもかなり早めのスピードだったので、衣装替えとならない内にその事実を隠し続けてくれたのは幸いだった でも、やっぱりその後も、彼女自身に聞いても小鳥さんに聞いても話をはぐらかされるだけだったけど 「女の子の秘密…か…。  まあ、面倒事に繋がらなかっただけでも…取り敢ず良しとしますか。何時か言う気にでもなってくれれば、その時でも…」 不意に玄関の呼び鈴が鳴る 今日は、特に急いで裁く物が無かったので夕刻に自宅に直帰している ただ、そろそろ夕食の時間に掛かろうかと言う頃に、仕事関係の人間の来訪者など想像はかなりし難い 誰だろう?と思いドアを開けると、そこには… 彼女が立っていた 両手に、買い物袋をぶら下げて 「ど、どうしたんだよ? 何で、こんな時間に俺の…所へ?」 「…夕食、まだですか?」 「え? あ、ああ…」 「そうですか。 なら…言いに来ました」 「?」 「理由を」 そう一言だけ彼女が言って、微笑んだ  ――――――――― あ、ビックリしてる 良かった…。美味しそうに食べてくれてる………嬉しいな… 頬が薄っすらと染まり、自然と笑みが毀れる 「もう…。そんなに、慌てて食べなくても、料理は逃げませんから…」 「だってホンと美味しいじゃないか、コレ」 「ふふ…、有難う御座います。 あ、まだ有りますよ? 言って頂ければ、又取ってきますから」 「うん、有難う。 いやー、しかし凄いな、恐れ入ったよ。 アイドルだってトップクラスなのに、料理の腕もトップクラスとは」 「…や、止めて下さい。 そ…、そこまでは言い過ぎです…」 顔が、又少し赤らんでくる だ、ダメだ…。か、顔がニヤケて来ちゃいそう… 「失礼かも知れないが、正直言うと、千早のイメージに料理っての無かったんだよなぁ…」 それは、私もです。と、密かに苦笑いが毀れる でも、私は変えたんですよ? 今、私の目の前に居る人の為に うん。言おう 覚悟は決まった 「…私……プロデューサーの為に料理を練習したんですよ」 「え?」 「だって…、歌しか取り得の無い私が出来る事って、何も無いですから  ここまで、私を連れて来てくれたプロデューサーに、私自身の手で出来るお返しをして上げたかったから…」 「……ちょ、ちょっと待ってくれよ…。そ、それって」 「…はい。 ぷ、プロデューサーの為…だけに…」 彼の口から、盛大な溜息が毀れていく 彼も、少し赤くなって頭をかいている 「ま…まいったな…。 こりゃ……………」 暫し沈黙が訪れる 私の顔は、更に赤味が増し続けていた …や、やだ…、…な、何か凄く………は…恥ずかしい……… その沈黙を不意に破ったのは、彼の台詞だった 「………ん?」 と、彼が何か思い当たった様な表情を見せる 「…あの…さ」 「…は、はい」 「一つだけ…聞いていいか?」 「はい」 「練習…って言ったよな…?」 「え、ええ…」 「…も…、若しかして……あの時の…?」 彼が、何を指して言っているか、言わなくても十分判った 私は黙ったまま、一度だけ頷く 「はい。 プロデューサーに喜んでほしくて…いっぱい…いっぱい、頑張りました」 私は、又微笑んでいた  ――――――――― 俺は、きっと、プロデューサーとしては失格なんだろうな だって、タブーだって頭で判ってるのに、心が納得してくれないんだ 今、自分が担当してるアイドルの女の子に、その ―――――― 恋をしちゃうんだから この腕の中に居るアイドルを、如月千早って女の子として愛しいと思ってるから いや、違うか アイドルの千早も、女の子の千早も一緒に ―――――― 千早の全部を愛しいって思ってるから  ――――――――― …あ…。 これ…、音無さんが言ってた………ギューってヤツだ…… …そっか 良かった…。プロデューサーも私の事を… うん。 私も良かった。プロデューサーに惹かれて 大好きです。プロデューサー 貴方の事